■ 第二十二回 '05 春のインド ダージリンの旅 W トイ・トレインとダージリンの街

パート4でこの旅のご案内は最後です。茶園に泊まるのは私のように紅茶の仕事をしているとインド、スリランカなどの紅茶園でマネージャーの家やバンガローに泊まることがたびたびありますが普通に旅する人には貴重な体験です。このGoomtee茶園のゲストハウスは多くのダージリンの茶園の中でも大変珍しく一般の方に泊まっていただきたく日本のペンションのように一泊2食付で50US$で申し込み大歓迎です。詳しくはGoomteeのHpに詳しく書かれていますのでご覧下さい。この茶園は個人の持ち物のため25年近く同じマネージャーが勤務しています。大きな会社だと人事異動で同じ会社の経営する茶園に変わったりします。ここでは同じマネージャーが勤務していますので別にマネージャーハウスがあります。ここは仕事で取引があるお客様が来られた時のゲストルームとオーナーが年間何度もカルカッタから来た時に泊まるために維持されています。この英国人が100年前に立てたヘリテージハウスを一般に使っていただきダージリンのお茶を作る人々の生活や茶の樹が育つ自然の環境を見ていただきダージリンをより好きになっていただきたいとのオーナーの願いから宿泊していただけるようになっています。一度行ってみませんか?



ネパールの衣装を身にまとって
ゲストハウスの裏庭で、カルチャープログラムと呼ばれている地域に住んでいる子供たちの踊りを見せていただきました。
民族的な色々な踊りを次世代に引き続けるために日ごろから子供たちが練習した踊りを披露する会です。一生懸命小さな子供たちや少し大きくなった中学生程度の子供も一緒に楽しく踊ってくれます。 ここダージリンでは英国時代からとなりのネパールの人たちが働きに来て住んでいるためカルカッタやデリーのインド人とは、顔や体がまったく違ってかえって、私たち日本人と顔や姿が近いように感じられます。この踊りや衣装もネパールのものです。



Goomtee ゲストハウスのスタッフの方々との記念写真
いろいろお世話になった茶園とお別れでお昼にはトイトレインと呼ばれているユネスコの世界遺産に指定された汽車に乗ってダージリンの街に移動し2泊街に泊まります。ここのスタッフとお名残惜しいのですが記念写真をしてお別れです。



バトラーのバンドゥさん
バトラーのバンドゥさんが列車の中までお名残惜しくお見送りに来てくれました。思わずつかまえて一緒に列車でダージリンタウンへ行きましょう?といってみましたが取ってもまじめでダメだといって後ろ髪をひかれるように列車から降りてゆきました。

今回のテーマは馬可波羅倶楽部のスタッフが昨年11月に皆さんをご案内するために下調査のためにここに来てこのバンドゥさんの仕事振りに感激し、バトラーにお世話になる旅とサブタイトルが付いたいわれの方です。『 日の名残り 』という映画が大好きな私も古きよき英国の面影を思いつつお世話していただくことを楽しみにここで過ごさせていただきました。



『トイ・トレイン』
これが『トイ・トレイン』です。本当におもちゃのような列車です。何種類か違う形があり、これは石炭を炊きながら走る形です。もっとクラシックなものもあればもっといまのディゼルのようなシンプルな列車も走っています。このマハナディ駅は小さな駅で茶園のある町の名前です。私はこの町が好きでここ2年4回も続けて泊まらせていただいたおかげで街を毎回散歩し顔見知りの人が沢山できました。というのもこの街は50m程度で通り過ぎてしまう小さな街?(村?)です。



カルセオンの駅
この列車は全線8時間近くかけてシリグリからダージリンの街まで運行しています。私たちはほんの一部の茶園の前のマハナディ駅からカルセオンという街まで30分だけですがこのおもちゃのような『TOY TRAIN』に乗ってゆっくりと斜面を走るこの列車からの車窓のから景色を楽しみました。皆さんTVの世界の車窓からという番組で見たことがあるかもしれませんが斜面をはしるこの列車歩くのと変わらないスピードで若い男の子たちはカーブでスピードが遅くなると列車の手すりにつかまり飛び乗ってゲームのように楽しんでいます。
この写真はユネスコの世界遺産の大理石の碑が建てられているカルセオンの街の駅の写真です。「クルセオン」とも言います。インドのアルファベット表示は英語読みとインド発音と茶園や町の名前が難しく茶園名もいつも悩まされます。
車とこのトイ・トレインの交通マヒが多くのポイントでありこの駅の前に交通整理のポリスのボックスがあります。大変渋滞するエリアです。というのはここからシッキムやブータンに続くカリンポンの街へ行く道が分かれているために車が多くてダージリン独特の霧がでると大変視界が悪く交通渋滞を起しています。



ダージリンの街
カルセオンの駅の近くのツーリストホテルで昼食をとり、ここからは待たせておいた4輪駆動の車でダージリンの街に行きました。ダージリンの街は2100mの高地にありちょっと早く歩くと息切れしたりして高度の高さを体感します。たくさんの観光客の店と地元に住む人たちのための日常品のバザール、ネパールやシッキムの人たちの日常野菜のマーケットなども所狭しと並んでいます。この街を散歩すると、ネパール、シッキム(今はインドの州になっていますが昔はシッキム王国でした)、ブータンとの国境の町であるということが良くわかるほど人々の顔が異なります。

この街にダージリン・プランター倶楽部がありダージリン紅茶の仕事に付く人たちが集まるところで会員制のため一般の人はなかなか入ることが出来ません。とっても英国の倶楽部という組織を思い出します。この会場でお茶を頂きながらこの倶楽部の2番目に高齢でいられるMr ムキアにお願いしてダージリンの歴史と現状というタイトルで皆さんに講演をしていただきました。現地ならではのお話がきけて貴重な時間でした。ムキアさんはここ2年3回お目にかかりいろいろダージリンの歴史を教わり大変な知識のある方です。今息子さんが有名なキャッスルトン茶園のゼネラルマネージャーに着任しており飛行場に行くときにキャッスルトンの茶園にいってお目にかかり案内していただきました。



ホテル『ウインダミア』
今日と明日の2泊泊まる『ウインダミア』という名前のホテルです。英国の湖水地方の地名が付いていますが英国人が立てたホテルではありません。ここは昔シッキムの綿の取引で成功した豪商であるシッキム人のファミリーがいまも経営者でホテル業に転向されたそうです。しかし英国風のいろいろな影響を感じ植民地時代の空気が漂っています。アフタヌーンティを到着するとウエルカムティに用意してありますがセルフサービスで驚きました。でも気持ちですから皆さんでゆっくりお茶をいただきました。しかし残念ながら毎日茶園でその日出来立ての紅茶を飲んでいた私たちには茶湯のような味のない紅茶でちょっとがっかりしたのも現実です。



タイガーヒルのご来光
早朝3時半に起きて車で2700mにあるタイガーヒルへご来光をみに出かけました。残念ながらこのファースト・フラッシュの時期には真っ白のヒマラヤの山々がかすんで見えません。運がよければ見えることもあると聞きます。しかし、今回は断念ながら私が11月にきて見ましたそびえ立つ真っ白なヒマラヤ山脈をここからは見えず皆さんに感激していただけませんでした。もちろん行きかえりの飛行機からは雲の中から頭を出しているカンチェンジュンガなどの山々は見ていただけました。



この建物は何でしょう?
この建物はVIPルームで予約圏をかってひときわ高い位置から見れるように立てられた特別室で、1999年(6年前)に私が訪れたときはコンクリートの骨組みだけで昨年久しぶりに来て驚きました。ここの中ではチャイとお菓子がだされ寒い早朝のティタイムです。1時間近くここで待つ皆さんの格好は着れるものすべてまきつけ冬装束です。太陽が昇ればだんだん温かくなります、日の力はすごいと改めて自然の大きさを感じることとなりました。私も頭からパシュミナショールをかぶり防寒していましたので写真を取られないように避けたところこのようなおかしな写真を取られてしまいました。中にいるときはもっと着込んで見せられません。屋外は本当に寒く周りにコーヒーを魔法瓶にいれて販売する人が後を絶たないのも納得するほど寒いです。



とてもめずらしいタイガーヒルの雪景色!
日が昇りタイガーヒルから車で降りてくるといたるところでこんな風景に出くわしました。ガイドのポールさんに聞くと彼も長年タイガーヒルは来ているがこんな雪が道沿いに残っているのは見たことがないと言うほど今年は珍しい気候だようです。インドの地方からきた観光客の人はご来光より大喜びで車からおりて記念写真や雪合戦がいたるところであり本当に無邪気で楽しそうな光景でした。自然は毎年違い年毎にダージリンの味が違うのを現地に行ってこのような光景をみると自然が作り出すことは私たち人間ではコントロールできず恵みを承るしか仕方がないと実感させられますね!昨年は美味しかったとか1991年は大変感動的な味だったなど言っていましたが自然が茶の樹を作り上げる中で人間の知恵で経験と技術ですこし変化させることがダージリンのお茶の醍醐味かもしれません。4回にわたり企画しましたダージリンの紅茶の旅のご報告でした。

また秋にもヒマラヤがきれいに見えるのでオータムナルの紅茶の旅企画できればと思っております。



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