TEA and COFFEE Trade Journal

■ 1998年9月号掲載記事 / ロンドン・ティオークション

Introduction:

イギリスのメディア各紙が、ロンドンティーオークションが消滅すると、今年(1998年)始めに報道されてから、様々なことを書いてきていました、茶業界の中で、最後のオークションとなる6月29日月曜日に、どれだけ人々の注目が集まるか、予想できる者は居ませんでした。

その前週、各紙がニュースとして報道した時、ロンドン商工会議所にある、ティー・カウンシル、そして、ブローカー・オークショナーである2つの会社、「Wilson Smithett と Thompson Lloyd & Ewart の電話は、新聞社やフリーランスライター、テレビ局やラジオ局などから、国民的飲料である紅茶の歴史的な日に、場所を確保したという電話が殺到した。

この日の始まりは早く、イルタイド・ルイス(ティーカウンシル取締役)がテレビやラジオに出演することから始まりました。そして、いつも通り月曜の朝のオークションが始まる2時間前には、ロンドン商工会議所にて、ルイス氏、ロビン・ハリソン氏(Thompson Lloyd & Ewart)、マイク・バンストン氏(Wilson Smithett)、ティム・クリフトン氏(Wilson Smithett及びティーブローカー協会会長)達が、一連のインタビューを受けることになっていました。『今日は本当に残念な日です。一つの時代が終焉するのですから。しかし、多くの業種と同じように、コミュニケーションやテクノロジーの変化によって、過去が生まれてくるわけです。』ロビン・ハリソン氏も同意します。『もちろん、今日という日は我々にとって、寂しい日となります。ロンドンティーオークションは、何百年も続いたわけですから。そして、あらゆる業種においても、適正な価格をつける手段として、素晴らしい方法であったと証明してきたからです。特に、茶のように、品質に非常に差の出るような製品については、簡単ではなかったのです。』

最後のオークション:

普段の月曜の朝のオークションは、午前11時に始まり、約45分間で終了します。(17世紀18世紀には、6日間にも及ぶ非常に過酷な長さ、また、今世紀初頭でも3日間かかっていたことから比べて、非常に短時間となっていました。)そして、この−オークションでは、様々な種類の茶が、迅速に効率よく取引されました。カメラマンやジャーナリスト達は、この日、いつもより15分間の延びを得ることが出来、その間、この取引に携わる人々の様子をおさめることが出来ました。一方で、ロンドン商工会議所のスタッフは、予想外の来場者に、紅茶を出すため、右往左往していました。

正午、いつも通りの活気と人々の好奇心とが、オークションルームから廊下にまで、広がりました。しかし、ロビン・ハリソン氏が319年の歴史上最後となる、競売用の槌を振り上げたとき、とたんに静けさに包まれました。そして、20ロットのアッサム、ダージリン、セイロン、中国、ケニヤの茶の、茶貿易慈善基金へ寄付されるための競売が始まりました。「パーシバル・グリフィス卿基金」「セイロンプランター慈善基金」「紅茶取引慈善会」などです。

入札は、ハリソン氏が最初の説明を終えるよりも早く始まり、その後も全ての主要会社が参加し、値がどんどん高くつけられてゆきました。入札者は、慈善事業への惜しみない寄付が目的でもありましたが、その半分には、ロンドンで最後となるオークションへの深い愛情からでもあったのです。スームからの122kgのダージリンは、パンジャナへ1kgあたり£22.50、キャスルトンはブルックボンドへ£37/kg,上物のキーマンはトワイニングに£35/kgでそれぞれ落札され、ケニヤのミリマに至っては、ギジョージ・ウィリアムソンが£55/kgという値をつけたのです。これはとても見ごたえのあるオークションでした。特に、電話入札(近年の新入札方法で、最初の頃のチェンジ・アレーやプランテーション・ハウスなどでは見られなかった光景です。)によって、高値が示されると、拍手喝さいが起こりました。

しかし、最も興奮した瞬間は、最後の44kgのセイロン、ヘルボッド茶の名が読み上げられたときでした。入札は、£10/kgから始まり、£5、£10づつが、テトレー、ブルック・ボンド、テーラーズ オブ ハロゲート、ペガサス、トワイニングなどから掲示され値が上げられていきました。そして、値が、£225になった時、この戦いは、トワイニングのジョン・リーダー氏とテイラーズ オブ ハロゲートのジョナサン・ウィルド氏の二者対決となりました。そして、値はいきなり£465にまで上がったのです。しばらくの沈黙、静けさがありました。そして、この値のつり上がり方を見たハリソン氏が、槌を振り下ろそうとしかけた時、なんと、再び、入札が始まったのです。値は、じわじわとまた上昇し、そして、ついには、1kgあたり£555という驚異的な高値が、テーラーズ・オブ・ハロゲートからつけられました。(普通では£1.50/kg) これは、トータルにしてロンドンオークション始まって以来の高値である£24,000となったのです。紅茶史上にその名を残し、そこに居る人々全てからの賞賛を得た、ジョナサン・ウィルド氏(テイラーズ・オブ・ハロゲート会長兼経営部長)は、こう語りました。『これは、茶取引の一つの時代の幕切れです。私はこの特別な茶を、ヨークシャーに点在する私達のべティーズ・ティールームで、値段は関係なく、販売したいと思っています。しかし、そのうちの1kgはリーダー氏に捧げたいと思います。』ジョン・リーダー氏は、1950年代、ロンドンオークションへ出席した大好きな思い出を語りました。『その頃は、今よりもっと多くの会社がオークションに参加しており、競売は、プランテーション・ハウスの壮大な会堂で行なわれていました。それはまるで、伯爵家のホールのようで、華麗に装飾された石と木のパネルで作られていました。』

ロンドンオークション300年の歴史:

ロンドンティーオークションが、最初に開催されたのは、1679年3月11日であり、3カスクの中国からの『ダスト茶』が東インド会社のもとで、_1 11S 0pにて落札されました。この初期の頃、茶は“キャンドルごと”で競売されていました。これは、それぞれのロットがせりにかけられる際、1インチのキャンドルに火がつけられ、これが燃え尽きるまでせりが続けられる、というやり方です。19世紀の中頃、イギリスがアッサムに茶園を開いたことから、紅茶の消費量は増大しました。17世紀中頃には、年間数千ポンドであったのが、30万ポンド以上にまでなったのです。6日間に渡るせりは、30ほどのブローカーやその客が参加し、東インド会社や個人取引業者からの茶のリストで、競売のカタログは635ページにもなっていました。

オークションは、第一次、第二次世界大戦中は、一時閉鎖されていましたが、当初からずっと、ロンドンで行なわれていました。1937年に、ミンシングレーンにあるプランテーション・ハウスへ、その会場は移され、その後1971年には、サー・ジョン・ライオン・ハウスへ移りました。ここは、現在、ティー・カウンシルとロンドンに引き残ることに決めたいくつかの会社(Thompson Lloyd & EwartやWilson Smithett)、がある場所です。ほとんどの茶会社が、ロンドン中心地から、遠くへ越したことから、その後、半日、時には1時間で終了する競売のために、わざわざ遠方からやってくることは、バイヤー達にとって、だんだん非効率的と感じられるようになりました。そして、原産地でのオークションや、オフショアなどでのオークションが、さらに重要となるにつれ、1990年、オークションがロンドン商工会議所へ移転するまでには、この伝統的な競売に参加する業者の数は、徐々に減少していきました。

現在、イルタイド・ルイス氏は記者たちにこのように説明します。『我々は、時間と共に、変化しなければならない。そして、このように続けていくことが不可能になったしまっただけである。そして将来、全ての取引は、インターネットやe−mailで行なわれるようになるだろう。我々が、このオークションで毎週取引する量は、20,000トンにすぎない。これはほんのわずかな量なのです。』 世界各地にある、他のオークションは今まで通り機能していくのだが、今後はどんどん、さらに多くの茶が、近代的な流通方法で、取引されていくことになるだろう。ティム・クリフトン氏がこう説明する。『10年前、コロンボへはどんな手段を取っても、電話をつなぐことなんて出来なかった。それが今では、一瞬にして役員と話が出来るんだよ。紅茶は、イギリスにおいて、これからも重要な製品として存続していくだろう。しかし、ロンドンをその拠点とする必要は、もはや無くなったんだよ。今日では、ほとんどの紅茶生産大国は、自分の国にオークション会場を持っている。しかしさらに、人々は今、直接生産者から買付けるようになっている。そして、インターネットを通して、あらゆる情報が公開されるようになるのは、時間の問題だ。』 また、ピーター・リボワー氏(Buchanan Butler Warehousing Service経営部長)は次のようにコメントする。『私達は、このために手はずを整えて、私達のサービスを変えなければなりませんでした。これは大変残念なことです。そして、全く違うシステムになるため、多くの作業が必要となることは、やむ得ないことです。』

1998年6月29日の最後のオークションは、忘れがたい、そして少し悲しい出来事となりました。しかし、ロビン・ハリソン氏が次に語ったように、願わずにはいられません。 「私はこの偉大な機会を過ぎていくことに、大変悲しみを覚えていますが、しかし、この先に続く、茶取引の新しい、明るい未来を期待しようではありませんか。」

本文は『TEA&COFFEE TRAE JOURNAL/vol.170/No.9 1998年9月号』より・・・

Tea & Coffee Trade Journal
130 West 42nd Street,Suite1050
New York,New York 10036 U.S.A
Tel:(1)(212)391-2060
Fax:(1)(212)827-0945
E-mail:teacof@aol.com

もどる